Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘Memorabilia’

[I did LSD with Steve Jobs | YouTube

スティーブ・ジョブズとドラッグの関係は、生前はあまり語られなかった。

ジョブズがドロップアウトした大学の寮で同室で、後にインドへの放浪も一緒にした Daniel Kottke が、ジョブズの LSD 体験について口を開いている。

I did LSD with Steve Jobs | CNNMoney

     *     *     *

ジョブズと一緒に LSD をやった

Daniel Kottke は最初のアップル社員のひとりだ。まだ有名になる前のスティーブ・ジョブズを友人として知っていた。リード・カレッジ(Reed College)時代はよく一緒に旅をしたものだ。

Kottke was one of Apple’s first employees, and before the world knew Steve Jobs as the creator of Apple, Kottke knew him as a friend he used to trip with at Reed College.

この経験についてはジョブズの生前はあまり語りたがらなかったが、今は進んで CNNMoney に語ってくれた。

He was uncomfortable discussing these experiences while Jobs was alive, but was willing to share them with CNNMoney now.

「私たちはよく幻覚剤をやったものです。まるで新しい世界が開けるのです」と Kottke は語った。

“We would take psychedelics and whole new vistas opened up,” Kottke said.

article-2473284-18EF650800000578-823_634x826

[アップルを立ち上げた頃のジョブズと Kottke:Daily Mail Online

     *     *     *

LSD についてはっきり触れたのは、ジョブズの訃報を書いた NY タイムズの John Markoff 記者だった。

Steve Jobs of Apple Dies at 56 | NYTimes.com

人生で最も重要なこと

オレゴン州ポートランドのリード・カレッジはリベラルな校風で知られていたが、1972 年に同校をドロップアウトした後、ジョブズ氏はカウンターカルチャーな暮らしをした。彼が記者に語ったことがある。LSD をやったことは彼の人生で最も重要な2つないし3つのうちのひとつだと。幻覚剤を試したことのないひとには(ジョブズ夫人も彼をよく知っているひとでも)彼について決して理解できないことがあると語った。

After dropping out of Reed College, a stronghold of liberal thought in Portland, Ore., in 1972, Mr. Jobs led a countercultural lifestyle himself. He told a reporter that taking LSD was one of the two or three most important things he had done in his life. He said there were things about him that people who had not tried psychedelics — even people who knew him well, including his wife — could never understand.

     *     *     *

ジョブズのそんな側面について、死後3年半近くたった今になってやっと関係者が口にするようになったのかも。

それにしてもサイケデリックとは懐かしいことばだ。

当時を風靡したサイケデリックアートも、元は幻覚剤の psychedelics からきたものだった。

ジョブズの伝記映画では彼の LSD 体験はどう扱われることになるのだろうか・・・

Read Full Post »

伝説のスーパーボウルコマーシャルは31年前の今日登場した・・・

1984 Apple’s Macintosh Commercial (HD) | YouTube

旧記事から:

The Making of a Legend | Curt’s Media

「1984」のレオタード | maclalala2

マックのりんごが欠けてる理由と「1984」:Bitten Apple and 1984 ad | Long Tail World

Read Full Post »

DSC_0374-750x422

当時はシステムソフトのおまけだったんだなあ・・・

The Original Apple Watch, A 1995 Watch Given Out by Apple as an Incentive to Upgrade Operating Systems | Laughing Squid

Read Full Post »

[The Twentieth Anniversary Macintosh Experience | YouTube

オリジナル Macintosh を現代風にアレンジしたデザインが先日話題になった

とても実用的とはいえないが、それでも古くからのマックユーザーは心をくすぐられる。

ことほどさように時代物のマックはオールドファンにとって懐かしい存在だ。

20周年記念モデルの「TAM」もそんなマックのひとつだ。Twentieth Anniversary Macintosh の略で、アップルが創業20周年を記念して発売した限定モデルのことだ。

少し前だが、オーストラリアの映像アーチスト Max Piantoni が「TAM」に付属する体験 CD の紹介をしていた。

Video: The Twentieth Anniversary Macintosh Experience CD | TUAW

young_jony

この珍しい体験 CD(Experience CD)の見所は、若き日の Jony Ive が TAM のプロモーションビデオに登場しているところ。後に iMac の先駆けとなるこのオールインワンのマックについて彼が語っているのだ。[5:45 ごろから]

     *     *     *

実はこの20周年記念限定モデル「TAM」はいわくつきの製品でもあった。

1997 年の Macworld Expo で発表され、2人のスティーブに贈られたものだ。しかしこのときの Gil Amelio のキーノートは「アップル史上最悪かつ最もぶざまな製品発表」といわれた。(キーノートのジョブズの憮然たる表情はなんとも印象的だ。)

まだジョブズがアップルに復帰する前の、Amelio の時代のことだった。

ジョブズがこの TAM を嫌っていたのは有名だ。

アップルに復帰したジョブズがまず最初にやったのは Amelio の机に乗っていた TAM を窓から放り出すことだったという伝説(真偽のほどは分からない)まであるほど。

そんな TAM を Jony Ive がプロモートしているのだから皮肉だ。

その後時を経てこのデザインは現在のオールインワン iMac に結実することになる。

冒頭の Max Piantoni が解説するビデオの他にも、Jony Ive の部分だけを抜き出したものもある。

若き日の Jony Ive(まだ髪もフサフサ)が見れるだけでも貴重だ・・・

Read Full Post »

PIXAR DISNEY IGER JOBS CATMULL LASSETER

[2006 年1月24日ピクサー本社にて撮影 — 左から Ed Catmull、Steve Jobs、Robert Iger、John Lasseter:Fortune

ピクサー・アニメーション・スタジオ(Pixar Animation Studios)の共同設立者のひとり Ed Catmull が、スティーブ・ジョブズについて語っていることばが興味深い。

A candid conversation with Pixar’s philosopher-king, Ed Catmull | Fortune

     *     *     *

「変化したスティーブ」(the “changed” Steve Jobs)

Fortune:ピクサーとディズニーの関係は波瀾に満ちたものでした。スティーブ・ジョブズが豹変して再度ディズニーとパートナーシップを組もうとしたのは Bob(Robert Iger)の何がそうさせたのでしょうか?

Pixar went on to have a rocky relationship with Disney. What was it about Bob that you think convinced Steve Jobs to change his mind and re-enter the partnership?

Ed Catmull:一般大衆のジョブズ観は間違っていると思います。若き日の「バッドボーイ・スティーブ」[bad boy:不良少年、悪童、反逆児]というジョブズ観です。それがアップルに大きな成功をもたらしたのだと。初期のピクサーは波瀾に富んでいましたが、本当はスティーブが学習して劇的に変わったのです。15年前に彼はあることに思い至り、その結果彼の人格が変わりました。非常に思いやりが深くなり、ひとびとへの接し方が変わりました。その時点から、彼と共に過ごしたひとは生涯を通じた友となりました。アップルを偉大にしたのは「変化したスティーブ」であり、それまでの彼ではないのです。これは典型的なヒーローの遍歴の物語です。しかしみんなはそのことを知りません。当時スティーブは強固なパートナーシップを信じ、評価していました。彼が Bob を認めたからこそパートナーとなったのです。彼らはお互いに真のパートナーになりました。それが彼が望んだことであり、かねてから考えていたことでした。ディズニーとの関係が50対50の関係だから真のパートナーシップになったのではありません。Bob がトップになったとき、一緒に仕事をできるパートナーが現われたと彼は思いました。私たちはそう思いましたし、彼ら自身もお互いにそう思ったのです。

The thing that the general public has missed is that there is a perception of “bad boy Steve” when he was younger and that that behavior led to this giant success at Apple. But while Pixar was going through its rocky beginnings, the reality is that Steve was learning and changing dramatically. About 15 years ago he figured out things and we saw the change in the person. He became very empathetic and changed the way he worked with people. And after that point everybody that was with Steve stayed with him for the rest of his life. It was the changed Steve that made Apple great, not that guy. It’s like the classic hero’s journey, except people didn’t know that. So at that time Steve appreciated and believed in strong partnerships, and what he recognized in Bob is that with Bob he actually had a partner. They both thought of each other as true partners. And that’s what he wanted, it’s what he had previously. Because our 50/50 partnership with Disney wasn’t leading to a true partnership. And when Bob came in, he thought here is a partner I can work with. And that’s what we saw in them and that’s what they saw in each other.

     *     *     *

ジョブズの、したがってアップルの成功の秘密がアップルを逐われた時代にあったことは誰もが感じている。

そのことをこれだけはっきり語ったのは Ed Catmull が初めてではないかと思う。

アップル復帰後のジョブズを見ると、「彼と共に過ごしたひとは生涯を通じた友となりました」ということばが重みを持ってくる。

ジョブズの『失われた』時代」や「『失われたインタビュー』(“Steve Jobs: The Lost Interview)」で感じたことが、共に一時代を過ごしたパートナーの口から語られているのが興味深い・・・

Read Full Post »

fernandez-with-apple-i

[Apple I を持って Apple II の前に立つ Bill Fernandez:TechRepublic

Apple II を世に出すのは決して簡単なことではなかった・・・

2人のスティーブが共同で立ち上げたアップルの最初の社員 Bill Fernandez が語る Apple II の話がたいへん興味深い。

Apple’s first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez | TechRepublic

     *     *     *

Woz のミニマリズム

Apple II こそアップルをアップルたらしめた製品だった。その時代の iPhone であり、その後登場したすべてのマシンを定義し直すものだった。

The Apple II was the product that turned Apple into Apple. It was the iPhone of its era, the product that redefined every machine like it that came afterward.

真のマジックは Wozniak のミニマリズムだった。誰も考えつかないやり方で、多くのテクノロジーと部品をひとつのデバイスに詰め込んだ。しかもできるだけ少ない部品で。Wozniak が自伝で述べたように、「初めてのローコスト・コンピュータで、ギークでなくても買ったその日からすぐ使えるもの」だった。

Its real magic was Wozniak’s minimalism. He integrated many technologies and components that no one else had put together in the same device, and he did it with as few parts as possible. It was, as Wozniak wrote in his autobiography, “the first low-cost computer which, out of the box, you didn’t have to be a geek to use.”

     *     *     *

配線図すらなかった

Wozniak は天才だったが、Apple II は彼の頭の中にあるだけで、まだみんなが使える製品にするわけにはいかなかった。

But as genius as Wozniak was, the Apple II almost didn’t make it out of his brain and into a product that the rest of the world could use.

アップルの最初の社員のひとり Daniel Kottke によれば、「1976 年の Apple II は動きさえしなかった。Woz のプロトタイプはちゃんと動いた。しかし回路基板にすると、これが動かないのだ・・・。これではダメだった。Woz にもどうしようもなかった。さらに悪いことに、配線図すらなかった。」

Daniel Kottke, one of Apple’s first dozen employees, said, “[In 1976] the Apple II did not even work. Woz’s prototype worked. But when they laid it out as a circuit board, it did not work reliably… It was unacceptable. And Woz did not have the skills to fix that… But, it was even worse than that. They did not even have a schematic.”

     *     *     *

最初の仕事は配線図を起こすこと

新しく投資家の資金を得たアップルは、初めての技術チーフとして Rod Holt を雇ったばかりだった。しかし仕事を始めてみると、配線図が大きな問題だった。Woz の作った Apple II のプロトタイプはチップと配線をしこたま段ボールの靴箱に詰めただけのものだった。まだ人数の少ないアップルにとって、この驚くべきコンセプトマシンを実際に製造可能で、販売可能な製品にする必要があった。

Newly funded by investors, Apple had just hired Rod Holt as the company’s first engineering chief, and this was one of the big problems that Holt walked into when he took the job. At the time Woz’s Apple II prototype was a bunch of wires and chips in a cardboard shoebox. The tiny Apple team had to take this amazing concept machine and turn it into a product that could be manufactured and sold in stores.

Apple II を製造できるようにするためには、すべての部品の技術情報が必要だった。そこで Holt は Fernandez にその仕事を頼んだ。

In order to make the Apple II a buildable product, Apple needed a full technical readout of all the component parts, so that’s what Holt assigned to Fernandez.

     *     *     *

すべては頭の中に

「Woz がデザインしたものは、すべて彼の頭の中にあった」と Fernandez はいう。「彼にとって必要なものといえば数ベージのメモとスケッチで、それさえあれば全体的な構造や細かい微妙な部分まで思い出せるのだった。一方アップルが必要としたのは、すべての部品とそれをどう配線すればいいかという完璧な配線図だったのだ。」

“When Woz designed something, most of the design was in his head,” said Fernandez. “The only documentation he needed was a few pages of notes and sketches to remind him of the overall architecture and any tricky parts. What the company needed was a complete schematic showing all the components and exactly how they were wired together.”

     *     *     *

プロトタイプからリバースエンジニアリング

Holt と Fernandez がやろうとしたのは、Wozniak が作ったプロトタイプをリバースエンジニアリングしてもっと標準的で再現可能なものにすることだった。

That meant that Holt and Fernandez had to take the prototype that Wozniak had made and reverse engineer it to create something more standard and repeatable.

「Bill と Rod はなんとかしてロジックボードから配線図を起こそうとした。それまでにあった配線図は信用できなかったからだ」と Kottke はいう。「ロジックボードはあったから、それをリバースエンジニアして配線図を作ろうとしたのだ。」

“Bill and Rod buzzed out the board to create the schematic from the logic board because they didn’t trust the schematics that they had,” said Kottke. “They did have the board, so they reverse engineered the board to create a schematic.”

     *     *     *

Apple II の配線図は自分が描いた

Fernandez いわく、「Apple II の最初の完璧な配線図を描いたのは自分だ。Woz がグラフ方眼紙に描いた数ページのメモのコピーから作業した。Woz とは以前一緒に仕事をしたことがあるので・・・これは分かりやすい仕事だったが、しかし骨の折れる作業だった。自分の目から見ても素晴らしい配線図ができた。理にかなって、明瞭で、部品相互の関係もよく分かり、データやロジックの流れを追うのも容易だった。」

Fernandez said, “I drew the first complete schematic of the Apple II, working from a few xeroxed pages of Woz’s notes written on graph paper. Having worked with Woz before… this was a straightforward [but] painstaking task. In my opinion, it was a beautiful schematic: logical, clear, easy to determine the relationships between components, and easy to follow the data and logic flows.”

     *     *     *

歴史は作られた・・・が

うまくいった。Apple II が製造できたのだ。かくて歴史は作られた。Wozniak と Jobs はカリフォルニアのガレージからコンピュータ革命を起こした二人のクレージーキッズとして有名になった。

It worked. The machine got built. History was made. Wozniak and Jobs became famous as the two crazy kids who started the computer revolution in a garage in California.

しかしみんなの記憶にあるのは限られた名前だけだ。Bill Fernandez のような平凡な男の名前は通常歴史には残らない。もし彼がいなかったら Apple II はパーソナルコンピュータ革命を起こしたマシンになることすらなかったかもしれないのに。事実 Fernandez がいなかったら「Apple Computer」という名前の会社すら存在しなかったかもしれないのだ。

But our collective memories only have room for so many names, and history doesn’t usually remember little guys like Bill Fernandez, despite the fact that if it wasn’t for Fernandez, then the Apple II may have never become the machine that started the personal computer movement. In fact, if it wasn’t for Fernandez, there may have never even been a company named Apple Computer.

     *     *     *

アップル草創期の話はどれもおもしろい。

6000 語を越える長文の記事の中からまず Apple II に関する部分を紹介した。

実はアップル社員第1号の Bill Fernandez については名前すらよく知らなかった。

その彼が Woz と近所友だちで、4年生のときからお互いによく知っていたことや、高校時代に Woz に Steve Jobs を引き合わせたのが Fernandez だったことは初めて知った。

Hewlett-Packard のエンジニアになった Woz が集めてきた電子部品を使ってコンピュータを作ろうとしたのが Fernandez のガレージだったことや、Woz の紹介で Fernandez も Hewlett-Packard のテクニシャンの仕事についたことなども語られている。

アップルでの底辺のエンジニアとして不満を持った Fernandez はその後会社を辞め、日本への旅に出て札幌に2年間滞在するが、帰国後またアップルに復帰し Macintosh チームに加わるなど、実に彼は数奇な運命をたどっている。

ここにも公認伝記本とは異なる風景が見える・・・

Read Full Post »

RadioShack

初めてのバソコンが RadioShack の TRS-80 だったのも懐かしい・・・

A eulogy for RadioShack, the panicked and half-dead retail empire | SBNation.com

Read Full Post »

Older Posts »