[Apple-1]
米国時間明日の iPad 発売を直前に控えたインターネットでは iPad 論議が白熱している。
iPad に対する根強い批判として、クローズドシステムだからダメだというものがある。
iPad は買うべきでないという Cory Doctorow の批判もその線上にある。
Boing Boing: “Why I won’t buy an iPad (and think you shouldn’t, either)” by Cory Doctorow: 02 April 2010
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開けられないものは自分のものではない
「開けられないものは自分のものではない。(if you can’t open it, you don’t own it.)ネジはハンダ付けに勝る。」というメーカーマニフェストの文言を私は心から信じる。Apple ][+ には回路基板の配線図までついていた。だからハードウェアとソフトウェアのハッカーたちが何世代にもわたって世界を良くしてくれたのだ。自分の子供が自信を持ち、企業精神に溢れ、世界の改良を信じる陣営に加わることを望んだからこそ、子供に Apple ][+ を買い与えたのだ。
[…] I believe — really believe — in the stirring words of the Maker Manifesto: if you can’t open it, you don’t own it. Screws not glue. The original Apple ][+ came with schematics for the circuit boards, and birthed a generation of hardware and software hackers who upended the world for the better. If you wanted your kid to grow up to be a confident, entrepreneurial, and firmly in the camp that believes that you should forever be rearranging the world to make it better, you bought her an Apple ][+.
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ほかにも iPad 懐疑論はある。Alex Payne も問題だという。
Alex Payne: “On the iPad“: 28 January 2010
プログラマーにはなれなかった
iPad が問題だと思うのはこういうことだ。もし自分が子供のとき、ホンモノのコンピュータでなく iPad を買い与えられていたとしたら、今日自分がプログラマーになることは決してなかっただろうと思うからだ。
The thing that bothers me most about the iPad is this: if I had an iPad rather than a real computer as a kid, I’d never be a programmer today.
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もうひとつ Mark Pilgrim の懐疑論。
dive into mark: “Tinkerer’s Sunset” by Mark Pilgrim: 29 January 2010
ハッカーの黄昏(たそがれ)
その昔アップルは、今日の私を可能にしたマシンを作った。いじりまわすことで私は今日の自分になった。しかしアップルは私の子供たちがセンス・オブ・ワンダーを発見するよろこびを、総力を挙げて阻止しようとしているように見える。アップルは世界のハッカー(tinkerers)に戦争を宣言したのだ。
Once upon a time, Apple made the machines that made me who I am. I became who I am by tinkering. Now it seems they’re doing everything in their power to stop my kids from finding that sense of wonder. Apple has declared war on the tinkerers of the world.
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John Gruber[Daring Fireball]はこれら iPad 懐疑論に反論する。
Daring Fireball: “The Kids Are All Right” by John Gruber: 02 April 2010
自動車のアナロジー
昔の車はフードを開ければ自由に内部を改造できた。今の車は内部がほとんどブラックボックス化していじれない。自分で内部を開ける必要すらなくなっている。それが iPad だというのだ。
しかし Gruber の反論の極(きわ)めつけは、13才の少年 Sam Kaplan から受け取った1通のメールだ。
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ボクの iPad アプリ
「ボクは13才で、アナタのブログの大ファンです。いま iChalkboard[i 黒板]というアプリを作ったばかりです。これはボクの2つ目のアプリで、iPad アプリとしては最初のものです。自由にお絵描きができます。こちらから( http://itunes.apple.com/us/app/ichalkboard/id322491414?mt=8)チェックしてください。プロモコードが必要でしたらおっしゃってください。」
I am 13 years old and a big fan of your site. I just made an app called iChalkboard. This is my second app, but my first iPad app. It allows you to simply sketch things out. Check it out: http://itunes.apple.com/us/app/ichalkboard/id322491414?mt=8. If you need any more info or a promo code, feel free to ask.
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可能にしたものは何か
自分はとても気に入ったが、アナタも気に入ってくれるとうれしい。
I hope you like it as much as I do.
13才の子供が iPad アプリを作り、EA やグーグル、さらにはアップルなどのビッグカンパニーと同じストアでそのアプリを売ろうとしている。彼のアプリは iPad の発売初日には入手可能だ。いい加減なアプリではない。初心者アプリでもない。正真正銘の iPad アプリなのだ。1978 年当時の13才の子供が自分の Atari 2600 で作ったソフトカートリッジを売ったりすることなぞ想像できただろうか。
He’s 13 years old and he has created and is selling an iPad app in the same store where companies like EA, Google, and even Apple itself distribute iPad apps. His app is ready to go on the first day the product is available. Not a fake app. Not a junior app. A real honest-to-god iPad app. Imagine a 13-year-old in 1978 who could produce and sell his own Atari 2600 cartridges.
iPad が若き Kaplan 氏のセンス・オブ・ワンダーや起業家精神の妨げとなっているとはとても考えられない。
Somehow I don’t think young Mr. Kaplan sees the iPad as hurting his sense of wonder or entrepreneurism.
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トレードオフ
もし10才の当時の私が iPad を与えられたとしたら・・・百万色のカラーと、ビデオ、写真、豪華な字体、タッチスクリーンインターフェイス、それにネットワーキング(しかもワイヤレス)まで備えたマシンだ・・・二度と Apple II には触りませんという条件で、Web アプリを書くかどうかと尋ねられたら、自分がなんと答えたかいわずとも明らかだ。
If you could go back and show my 10-year-old self an iPad — millions of colors, video, photographs, gorgeous typography, a touchscreen interface, networking (wirelessly!) — and offered to let me write web apps for it in exchange for my agreeing never to touch an Apple II again, I’m pretty sure I know what the answer would be.
アップルのコンピューティングに対するやり方が変わったことで、大切で貴重なものがいくつか失われたことは確かだ。しかしそれは、さらに大切で貴重なものを得るためのトレードオフなのだ。
Something important and valuable is indeed being lost as Apple shifts to this model of computing. But it’s a trade-off, because something new that is important and valuable has been gained.
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ここで提起されている問題の意味は大きい。
iPad は誰のためのものか、iPad の未来を決めるものは誰か、という視点だ。
確かにこれまでコンピュータの世界をリードしてきたのはギークであることは疑いを入れない。
しかし iPad がこれからどんな使われ方をするのか、実はまだ誰にもよく分らないのだ。
iPhone のスワイプからデスクトップのスクリーンをスワイプしようとする1歳半の孫娘の話を前に書いた。この子ら未来人の目から見れば、iPad は非常に直感的なものに映るかもしれないのだ。
子供だけでなく、ギーク以外のその他大勢の一般ユーザーはどう受け止めるだろうか。
これから多くの iPad 論議が行なわれるだろうが、それぞれがどんな視点に立つのか見分けるのもおもしろいだろう。
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Gruber は、iPad 擁護論の最後をつぎのようなことばで結んでいる.
「もし他にも iPad アプリを出そうとしているティーンエイジャー(もっと若い?)がいたら是非とも教えてください。」
Any other teenagers (or younger?) out there with iPad apps hitting the store, please let me know.
★ →[原文を見る:Original Text]
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追記:Consume vs Create(4月5日)
本稿について、読者からたくさんのコメントをいただいている。
iPad をどう捉えるかという点について、多くの問題提起がなされている。
・オープン vs クローズ
・ブラックボックス化
・コンピュータ vs 家電
・下層レイヤー vs 抽象化レイヤー
・手段(ツール)vs 目的
・Geek vs The Rest of Us
多くの側面があるものの、突き詰めれば「iPad とは消費する(Consume)ためだけの道具か、それとも創造する(Create)こともできるのか」という問題意識に帰着するのではないかと思う。
一般ユーザーに過ぎず、専門知識の持ち合わせのない筆者としては、それぞれのコメントに対しお答えする能力を持たない。
ここは本来の一読者としての立場に戻って、それぞれのコメントを興味深く読ませていただいている。
今回発表された iPad は、第一世代モデルであり、多くの短所を抱えている。今のままではノートブックの代替品とはなり得ないこともそのひとつだ。
しかしそれは一度で解決する性質のものではなく、iPad という新しいカテゴリーのコンピュータがこれから長い時間をかけて克服して行く問題だと思う。
この問題を取り上げたブログ投稿(本気ならiPadを2台買ってもらいなさい。)も始まったようで、これから先も本問題の展開を辛抱強く見守っていきたい。
感情的にならず、真摯な議論が行なわれていることに敬意を表するとともに、そのような読者に読んでいただいている幸せを心から感謝したい。
Technorati Tags: Apple, iPad, John Gruber
アップルは初期から「For the rest of us」とうたっており、この「rest of us」はGeekではない普通の人々を指しています。そして、やっとその夢がiPadという形で実現できることとなっているのではないかと、個人的には思っています。
そのような観点からすると上の多くのGeekの観点からの意見は彼らの個人的な好みからの文句でしかないと思われます。(今、自動車のフードをあけて自分でいじりたいと思う人って本当にどれくらいいるんでしょうか?携帯のふたをあけていじりたがる人はどれくらいいますか?家の液晶テレビを分解したがる人は自分で(自己責任で)やればいいだけで、そのためのマニュアルを提供する必要はないでしょう。)
コンピューターはやっと、iPadという製品をもって初めてGeekのおもちゃからテレビや電話、冷蔵庫のような家電の仲間入りを果たそうとしています。その変化が彼らには分からないでしょうか?Geeksとしてのおもちゃが欲しいのなら、Linuxとか他のものがまだまだあります。
> 家電の仲間入りを果たそうとしています。
家電を開発してきた人たちや、今新入社員教育を担当している人たちは、機械類が、構造が理解でき、分解でき、部品を取り替えることができ、etc., etc.の時代に育つことができたからこそ、そういう能力(脳力)が身についたのです。Steve Jobsらの若き日と、コンピュータとの関係もまさにそうです。
参考URL: http://makezine.com/04/ownyourown/
seachickenさんが称揚されるブラックボックス化は、そういう意味で、ひとつの(従来の)上位文明の没落、下り坂の開始のような感触をおぼえます。
昔「執事」というブラックな映画がありましたが、現場の細部を知る者がやがて支配的な立場に立つというストーリーは、21世紀後半〜22世紀にかけて、文化文明の主導権が中国→インド→アフリカへと移っていくことを予感させます。
ブラックボックスiPadを与えられた今の上位文明の子どもたちは、そのとき、罵倒されつつ貧給の掃除夫として生き延びるのです。彼らへのLinuxの普及に力を尽くしたgeekたちは、尊敬されているでしょうが。
–hiwa
なぜiPadにこだわるのでしょうね。ギーク曰く「そんなに最新のテクノロジーじゃない」んでしょ?そんなものをいじって将来すごいギークが出てくるなどと言うのははっきり言ってあまりに荒唐無稽、笑止千万ですね。
巷にはギークがいじりたくなるものがiPad以外にたくさんあるはずです。文字通りわんさかあるじゃないですか。それをいじればいいじゃないですか。なぜiPadなんですか?ギークの好きな「フリー」で「オープン」なAndroidもあるじゃないですか。笑
はっきり言えばiPadが騒がれているからでしょ?
しかもその騒がれ方は「使い方」に対してのこと。自分らが触れないからとあれこれ言うのはどれだけ言葉を重ねても所詮は単なるわがままです。
むしろ、こういう状況で「なら自分で作る!」「自分ならこうする」という発想こそ真のイノベーターでは?
Appleから与えられて、あげくにばらせないから僕ちゃん怒りまちゅでは、到底次世代の革新など出て来ようはずがないのではないでしょうか。
> hiwa様、
先ず、大前提として、アップル社ではiPadをコンピューターとして定義していません。アップル社のコンピューターはMacです。が、上記の記事はiPad=コンピューターという前提で書かれています。もし、彼らはSONYの液晶テレビーについても同じ主張をするんでしょうか?
「開けられないものは自分のものではない。」と?
が、iPadがコンピューターよりは家電に近いものだというのは私の私見なので、以下はiPadをコンピューターとして考えた場合の意見を書かせて頂きます。
IT技術は抽象化の方向性を持っています。つまり、IT技術は、複数のレイヤーを設け、下のレイヤーの詳細を上のレイヤーに意識させないことで「発展」してきました(これが本当に発展なのかは別にして)。
一例として、一昔のハッカーはカードに穴をあけてプログラミングをしていましたが、今は物理的なマシンにも依存しない、VMの上でコーディングをしています。今のプログラマで、アセンブリが分かる人はごく少ないでしょう。それでも彼らは立派なプログラマであり、それで食っていけています。それができるのは、OSやVMなどの抽象化レイヤーが配下の詳細を隠してくれているからです。彼らはそのおかげで高い生産性を手にし、自由により創造的なものを作り、収益を得る事ができます。つまり、彼らの現場は既に抽象化された上位レイヤーとなります。上記記事に引用された13才のiPadアプリ開発者がいい例になります。
本当に、今でもすべてのプログラマがアセンブリを習う必然性があるでしょうか?もしそうだったら、今までのIT技術の発展は何のためだったんでしょうか?
今はもうSteve Jobsも若くありません。彼の顔がしわしわになったように、コンピューターの技術に対する考え方も変えるべきだと思います。例として、今の時代のハッカーはもう基盤の配線をいじったりはしません。彼らはOSの盲点を探ったり、RDBMSの脆弱性を見つけたり、サーバの穴を探します。OSも、RDBMSも、サーバも、上記の人たちが例を挙げたものよりはずっと上位のものであり、それくらいならアップルも公開しています。(iPhone OSの基底であるOS Xのコアはオープンソースとして公開されています。)
もちろんまだアセンブリが必要な領域も残っていて、それらに詳しい人もいますが、その数は全体のプログラマ数に比べると一握りにすぎないのではないでしょうか?水道、電気はどの都市でも大事ですが、それの詳細をみんなが意識する必要はありません。
仰っている「文化文明の主導権」がどのような意味かはよく知りませんが、もしそれが経済的な主導権ではなく上記で議論されている技術的な主導権の事なら、それらはそのような後発の国々に移行されることは無いでしょう。日本やアメリカなど、既に技術的に進んでいる国々が特許であれ、資本であれ、何かの手段で自分の位置を守る筈です。
もし気にされているのがアップルによるプラットフォームの独占であれば、それはMSがOSのマーケットで既にやっていることで、そのような環境でもlinuxや他のUnix、Mac OS Xなど、他のOSはそれなりに頑張ってきています。また、その一つがアップルでもあり、彼らがいま逆転を狙っている訳です。これはどちらかというと、健全なマーケットの動きのようにも見えますが、如何でしょうか?
そしてアップルの独占に対する恐れもあまり現実的なシナリオではないと思います。既にAndroidを筆頭に複数の対抗馬が存在しています。どのようなマーケットもブルーオーションからレッドオーションに変わって行きます。アップルによって新しくもう一つのブルーオーションができたとしても、そこにはすぐ色んな後発業者が乗り込んでくる筈です。つまり、このようなアップルの圧倒的なマーケットリードはそんなに長くならない筈です。
繰り返しになりますが、私からすると上記の記事の大半は、一部のGeekが、新しいおもちゃができたのにも関わらず、それをもって勝手に遊べないことに対する文句でしかないのではと思います。でもアップルは(多分)それをGeek向けのおもちゃとして作った訳ではありません。Geekでない人々をターゲットに作ったのです。
アップルがiPadをもって提示しているのは自分でフードをあけて修理しなくてもいい、現代の車です。パソコンはやっとここまで来たのだと思います。そして、それこそが、JobsがiPadを自分の人生における記念すべき大事な製品だと述べた理由だと思います。
[…] ボクの iPad アプリ:iPad 懐疑論への反論 « maclalala2 いろんな読み方ができるいい話。 […]
だからJobs自身はrest of usでもmere mortalsでもなくて、だからこそ、つねに相当低レベルからの新規開発ができるわけでしょう? iPadの基板なんか、感心してしまう(CNETに分解写真集がある)。世界に、Jobs的な人間–rest of usでもmere mortalsでもない人間–は多いほどいい。ただし、そのためには、Steve Jobs的な開発指向性(や低劣な人間観)は、なるべく少ないほうがいい。
車でも、相当な低レベルの知識経験を人材としてまた情報として蓄積しているところだからこそ、インテリジェント化がどんどんできる。トヨタは技術で失敗したのではなく、マーケティング(対消費者コミュニケーション)で失敗したから、今度のようなことになった。
でJobs的方向性の間違いは、低レベルからの発想や開発能力を殺してしまう甘い毒を作っていることです。高度な抽象化も、砂上の楼閣や気球のようなっものではありえなくて、下にしっかりとした低レベルの層を何段も要する。低レベルの層も、たえず更新されていく。今後もずっと…。だからこそ、映画「執事」に言及し、今後は中国インドアプリかが…と申し上げたのです。
日本もアメリカも、ブラックボックスの製品をあめ玉のようにあてがわれる消費者ではなく、たんなるrest of usでもmere mortalsでもない強力な主体力のある人びとを、いろんな分野(教育福祉など人文的分野も含む)で増やさなければならない。単なる受け身のユーザさんばっかり人口中にどんどん増えたってしょうがない。だから私は、Jobs/Apple的な指向性に対しては、昔から否定的です。
今後の世界では、ユーザのコンピュータ知識の向上と並行して、諸開発が行われてほしい。これまでより断然すばらしい、コンピューティングの世界が育つでしょう。—この問題は、トヨタの消費者教育の失敗の問題とも、深く関連している。
–どうもまとまりの悪い文ですが、直すのもたいへんなので、このまま投稿させていただきます。
-hiwa
>jptechcruch様
>主体力のある人びとを、いろんな分野(教育福祉など人文的分野も含む)で増やさなければならない。
と同じような事をJobsもインタビューで言ってましたね。rest of us とはコンピューターの専門家でない人々のことであって、単なる「消費するだけの大衆」のことではありません。
創業時の社是として「テクノロジーを通じて民衆に力を」というのがあったと思いますが、最近でも「文科系」の人々の中に眠る能力をテクノロジーで引き出したいと述べていました。
例えばパソコン用のCGソフトは非常に難解です。素晴らしい芸術の才能を持ちながら、モデラーやシェーダープログラムを書けない(または理解できない)がためにその能力を発揮できないのだとしたら、その方がもったいない話だと思いませんか?
でもマルチタッチで粘土をこねるように、筆で色を塗るように、簡単に3D彫刻作品を作れるのだとしたら、世の中に眠っていたたくさんの才能が溢れ出すでしょう。
それと、iPad用アプリの開発にはVMより下位のObjective – C言語の習得が必要です。誰でも使える甘いプラットフォームがある=市場が大きくなる可能性がある=参入する開発者も増える。技術者の層が厚くなる(記事の13歳の少年のように!)、ということでよいのでは?
どこかの記事で読みましたが(ここ?ちがったかな?)、
iPhoneもiPadも使っているうちにその本体がなんだったかなんて、気にしなくなる、というものです。
いろいろ開発する人はしていただいて、使いたい人のところに使いやすい端末を提供していただけるのが嬉しいです。
なんと言ってもAppleの姿勢のすばらしい点は、彼ら自身が最大のユーザーであることです。自社の製品に何が必要で何が要らないか、自分たちが使って満足できるもの(高いレベルで)を実際に作ってくれるのです。
なぜでしょうか
子供やお年寄りでもきっとそうでしょうけど、
ひとりでにいじってるのは絵になるというかなにか意味性を感じますね
あ~ 2001年のモノリスにタッチする類人猿とのアナロジーでしょうか
神聖なものとして 知性的本能的ななにかをかき立てますね
ブラックボックス化はそれをモノと見るか、目的がその先にあるツールであると見るかで意味が違ってくるという点では皆さん同じ意見。それを受動的で思考停止につながるとするか、意識されないほどに様々な生活シーンの一部として浸透することで何か別の高みへと進むのか、という部分についての議論でしょうか。
「高度な抽象化も、砂上の楼閣や気球のようなっものではありえなくて、下にしっかりとした低レベルの層を何段も要する。低レベルの層も、たえず更新されていく。今後もずっと…。」という部分は、Jobsの言う”liberal arts”の意味するところ、inter diciplinaryな枠を超えた広がりに通じると思います。それが「低次」「高次」と階層化したもの、Jobsがmere mortalとして高みにいて、神の手を振るっていると見るかは別として。少なくともJobsがgeekな才能を活かした末にトップダウンで、あるいはmajorityに擦り寄るポーズとして今の「社会活動」を続けている、といった一方向の議論ではないと思うのですがね。
「rest of us とはコンピューターの専門家でない人々のことであって、単なる「消費するだけの大衆」のことではありません。」ーー「頂点」や「裾野」ではない、実態としてのmajorityはもっと多様性(繰り返しますが階層ではない)やゆらぎを持っているのでしょう。その意味でiPhoneやiPadがハードや使用法の単純化という点でブラックボックス化しているように見えながらも、ソフトの開発と提供、そしてその使用のシーンにおいて増加し多様化しつつある状況は、geekやmere mortalの見ないものを見ている、あるいは見出す可能性がある、ということでしょう。Jobsは、その可能性や見出されつつある方向性をすくい上げることに長けている、ということでしょうね。そしてその目には、geekとしてのもの、majorityとしてのもの、そこを行き来し判断するjournalist的なものがあるように思われます。そこから生まれてくるものは、だからこそ「medium」として社会や文化を反映するツールの位置を保持しているように見えます。(まあcoolである、smartであることは意識していますけど)そのもの自体は革新的ではないし、そのもの自体のみが目立ってなんぼではないと自覚している。
「standard」もしくは「standerdize」という言葉をネガティブではなくポジティブに捉えるとJobsの見ているものが見えるような気がしますが、いかが?
[…] 本気ならiPadを2台買ってもらいなさい。 John GruberのThe Kids Are All Right(子どもたちは問題ないさ)という記事、興味深いです。詳細はすでにmaclalalaさんが取り上げていらっしゃいますので参考にしていただければと思うのですが、一言でいうなら、iPadのブラックボックス化を批判する作家Cory Doctorowなどに対して、すでにiPadアプリを作った13歳の子どもがいるじゃないか、それにそもそも、昔はパソコンを分解して中を見れたといったって、本当の意味で内部を理解していたわけじゃない、プログラムだってBasicが本体そのものを動かすものではなかったし、というようなことです。 […]
[…] ボクの iPad アプリ:iPad 懐疑論への反論 [Apple-1] 米国時間明日の iPad 発売を直前に控えたインターネットでは iPad […] […]
[…] 本気ならiPadを2台買ってもらいなさい。 John GruberのThe Kids Are All Right(子どもたちは問題ないさ)という記事、興味深いです。詳細はすでにmaclalalaさんが取り上げていらっしゃいますので参考にしていただければと思うのですが、かいつまんで言いますと、iPadのブラックボックス化を批判する作家Cory Doctorowなどに対して、すでにiPadアプリを作った13歳の子どもがいるじゃないか、それにそもそも、昔はパソコンを分解して中を見れたといったって、本当の意味で内部を理解していたわけじゃない、プログラムだってBasicが本体そのものを動かすものではなかったし、としてグルーバーが反論するといった内容の記事です。 […]