John Gruber を取り上げるブログが増えたことはうれしい。
誰もが見て、知っているものから新たな、もっと大きい視野を開いてくれるのが、アップルギーク John Gruber の持ち味だ。
その彼が3月2日の iPad 2 キーノートについてとてもいい文章を書いている。
初代 iPad と今回の iPad 2 のキーノートを比較したものだが、次のような書き出しで始まる。
Daring Fireball: “The Chair” by John Gruber: 03 March 2011
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椅子まで同じ
ステージ上のひじ掛け椅子まで前と同じだった。
Even the chair on the stage was the same.
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プレゼンテーションの進め方も、OS や製品の紹介も、アプリのデモも、すべて前回と同じやり方だ。うれしいことにプレゼンテーションのホストまで前回と同じだ。
では、前回と違うのは・・・
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予期せぬ Jobs の登場
Jobs が登場するとは誰も予期していなかった点が前回との違いのひとつだ。大きなスタンディングオベーションは騒々しいほどだった。彼の姿をみて、ただただうれしかった。
One difference between this year and last is that Jobs’s presence was not expected. The ovation that greeted him yesterday was loud, almost raucous. We were, simply, happy to see him.
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iPad の何たるか
最大の相違点はこういうことだ。去年アップルは iPad の何たるかを理解していなかった。優れたものでり、可能性を秘めていることは知っていた。しかしそれが何であるかはまだ理解していなかった。iPhone と MacBook の間に未知で豊穣な領域が広がっていることは観念上分かってはいた。そこでアップルは賢い考え方をした。Mac が出来ることをそれ以上ちゃんと出来れば iPad は成功するに違いない、いくつかの重要なタスクをちゃんとこなせなければ成功しないだろう、と。
The biggest difference, though, was this: last year Apple didn’t yet understand the iPad. They knew it was good. They knew it had potential. But they didn’t know what it was. They had a sense that in the conceptual space between an iPhone and a MacBook there was uncharted, fertile territory. And they set for themselves a wise metric: the iPad would only succeed if it could do some of the same things a Mac can do, but do them better. If it wasn’t better in several important ways for several common tasks, it would not succeed.
昨年よく分からなかったのは、現実の場面で iPad がどう使われるかという点だった。今ではよく理解している。
What they didn’t know last year was how people would use it, for real. They know now.
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デモに使われたアプリ
昨年デモで使われた主力アプリは Pages や Numbers、Keynote などの iWork 製品だった。iPad はいささか異なってはいても PC なのだというのがメッセージだった。「なぜこのコンピュータを買うのか?」という問いに対する答えはお決まりのワープロや表計算ソフトであり、それは 80 年代の Visicalc にまで遡るものだった。
Last year’s flagship app demos were the iWork suite: Pages, Numbers, and Keynote. The message was: the iPad is like a PC, just different — word processors and spreadsheets have been the standard answer to “Why would you buy this computer?” going all the way back to Visicalc in the early ’80s.
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ポスト PC デバイス
今年 Jobs は iPad は PC ではないと何度もはっきりと繰り返した。iPad は「ポスト PC デバイス」(post-PC device)というカテゴリーに属するものだと述べたのだ。しかも今年のデモは少し様子が異なっていた。iWork はもちろん動くし、仕事のためのものだ。映画や音楽ならどうか? それこそ楽しむためのソフトだ。
This year, Jobs stated explicitly and repeatedly that the iPad is not a PC. Jobs’s repeated categorization for the iPad: post-PC device. And the demos this year were of a slightly different tone. iWork is, well, work. Making movies and music, though? That’s play.
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iPad バージョンの iMovie や GarageBand が iPad に最適化されたすばらしいソフトであることを Gruber は熱を込めて語る。
とくに GarageBand については次のように述べる。
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iPad を楽器そのものに変える
GarageBand for iPad は iPad 上で動く音楽アプリではない。それは iPad を楽器そのものに変えてしまう。GarageBand の楽器のインターフェイスはこの上なく見事にそれぞれの楽器を模倣している。どのコントロールも、ボタンやスイッチ、スライダーまでも、iPad のために特別にデザインされている。キーボードに加速度計を採用したことによって、感圧ディスプレイでないにもかかわらず、キーを押さえる強さを驚くほど正確に感知する。・・・これは Mac ではなし得ないことだ。iPad が何か新しいことをやっているということなのだ。
[…] GarageBand isn’t a musical app running on an iPad. It turns an iPad into a musical instrument. The interfaces for each GarageBand instrument are exquisitely skeuomorphic. Every control — every button, every switch, every slider — is custom designed. The keyboard’s use of the accelerometer to detect how hard you hit the keys seems impossibly accurate for a device that doesn’t have a pressure-sensitive display. […] This is the iPad doing something new, things that couldn’t be done on the Mac.
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「The Year of the iPad 2」
昨年のアップルは、iPad が何かすばらしいもの(something good)であることを確信したように思えた。しかし今年はそれが途方もないもの(something enormous)であることを理解したようだ。6月には多分 A5 ベースのデュアルコア iPhone 5 や iPod Touch が出るだろう。9月に何が登場するか誰にも分からない。それなのにアップルはたった2か月過ぎただけで 2011 年が「The Year of the iPad 2」になるといっているのだ。アップルは新製品の売り込みに総力を挙げるが、しかし誇大広告をする会社ではない。
Last year, Apple’s take on the iPad seemed to be that they believed they had something good. This year, they seem to know they have something enormous. Presumably, there’s an A5-based dual core iPhone 5 coming in June and a corresponding new iPod Touch and who knows what else coming in September, but Apple is already, a mere two months into it, calling 2011 “The Year of the iPad 2”. Apple sells every new product hard, but they’re not prone to that sort of hyperbole.
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技術だけでは十分でないというアップルの DNA に関連して、Gruber は競争相手がマネできない点について触れる。
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競争相手がマネできないこと
競争相手が簡単にマネできるにも関わらず、なぜそうすべきなのか分からないことが他にもある。それが技術的なものではないからだ。例えばあのひじ掛け椅子だ。iPad のデモにテーブルや演壇は使われなかった。ひじ掛け椅子に座って行なわれたのだ。iPad の電源を入れる前から、iPad の持つある感触が伝わってくる。くつろいだ感じ、情緒的、シンプル、エレガント・・・これこそ iPad の持つ魅力の総体だ。
But there are other things any competitor could copy, easily, but seemingly don’t even understand that they should, because such things aren’t technical. Take that chair. The on-stage demos of the iPad aren’t conducted at a table or a lectern. They’re conducted sitting in an armchair. That conveys something about the feel of the iPad before its screen is even turned on. Comfortable, emotional, simple, elegant. How it feels is the entirety of the iPad’s appeal.
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恥ずべきだ
30年前「パーソナル・コンピュータ」ということばを本来の意味に使わなかったことを我々は恥ずべきなのだ。
It’s a shame, almost, that we squandered the term “personal computer” 30 years ago.
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キーノートの終わりの方のビデオで Jonathan Ive はつぎのように語る。
「iPad 2 の最大の特長はディスプレイです。じゃまなものが一切ありません。」[1:05 頃]
ハード的に見れば、前面はすべてスクリーンで、まるで何もデザインされていないかのようだ。
iPad の真価を決めるのは iPad アプリなのだ。アプリがスタートすると iPad は姿を消して、アプリそのものに変化(へんげ)する。
今回のキーノートで紹介されたアプリは、これまでとはレベルの異なるものだった。その分 iPad 2 が格段の進化を遂げたといえる。
ハードだけ見て漸進的改良(incremental improvement)と捉えるのは大切なポイントを見逃したことになる。
筆者の第一印象も、ハードウェアに偏り、大切な意義を見逃したことを恥じる・・・
★ →[原文を見る:Original Text]
[…] ◇ iPad 2 キーノートの何が大切だったか (via […]
ハードウェアの存在感を無くす事は、ハードウェアメーカーには出来ないでしょうね。Android等に参加するメーカーは、ハードウェアで自社のアイデンティティを主張せざるを得ないから、今後も延々とハードウェアの競争(実感出来ない差異の競争)に消耗していくのでしょう。
さて、市場はどちらを好むのでしょうか。
[…] iPad 2 キーノートの何が大切だったか « maclalala2 スマートカバーとiMovie と mirror out を早くためしたい。 […]
[…] iPad 2 キーノートの何が大切だったか [ひじ掛け椅子からデモ] […]
Gruberさんと同感です。
私はAppleがAndroid勢のこれからの物量攻勢に危機感を感じてJobsを出して論点を”スペックや多機能性”からもどしておく(Keynote)必要を感じたんだと思います。
本来ならJobs休養でも大丈夫なApple という演出をすべき時期かなと思っていたので、私もJobs登場にはちょっとびっくりしました。
いずれにしてもMacLalala2再開していただいてよかったです。
今後も楽しみにしています。
maclalala2さん
いつも楽しみに拝見させていただいております。
iPadもiPhoneもiOSとの深い関わりの中で相乗効果をもたらすもの。
いずれはMacも仲間入りするのでしょうが、PC後のデバイスという大変大きな変革の一歩をAppleは歩き始めたということだと思います。
他のメーカーやキャリアがどんなに最新のテクノロジーとアプリケーションを駆使してスマートフォンやタブレットを開発しても、ハードウェアとソフトウェアを一体的に開発し、最適に動作するアプリケーションを巧妙にコントロールするAppleを打ち負かすのははなかなか難しいのではないでしょうか。
『どの車も移動という意味ではやることは同じだ。でも多くの人がBMWに高いお金を払う。』というかつてのJobsの名言は今も生き続けているということなのではないでしょうか。
いつも楽しみに拝読しております。ご病気があったにもかかわらず、ブログを再開していただいてありがとうございます。
毎回、ウ〜ンと関心させられる海外の記事を紹介していただきましたが、今回のGruber氏の記事は驚嘆と深い感動を覚えました。
iPad の何たるか….
去年アップルは iPad の何たるかを理解していなかった。優れたものでり、可能性を秘めていることは知っていた。しかしそれが何であるかはまだ理解していなかった。
「The Year of the iPad 2」….
昨年のアップルは、iPad が何かすばらしいものであることを確信したように思えた。しかし今年はそれが途方もないものであることを理解したようだ。
恥ずべきだ….
30年前「パーソナル・コンピュータ」ということばを本来の意味に使わなかったことを我々は恥ずべきなのだ。
引用させていただいた言葉が、私のアタマとココロに電流と深い感動が貫通していきました。
今後ともあまりご無理のない程度にブログの更新を楽しみにしております。
映像をご覧になった方なら分かると思いますが、最近のこの手のイベントではかならず最後に「テクノロジーとリベラルアート」が語られますよね。
そして、これは実はApple創業以来、一時ぶれましたが、ジョブズが戻ってきてからはなおいっそう、まさに一貫してずっとそうしてきたというもの。
最近ようやく認知されてきたような気がしますが、古参のファンは、まさにそこに惹かれてファンになったのではないかと思います。そして今なお熱狂的ファンが多い理由の一つでしょう。
あと、この種の慧眼あふれる記事が多いのもApple系サイトの特徴で、それをするどく探し当てて紹介するmaclalalaさんもすばらしいです。どうかくれぐれも体をいたわって、良記事の紹介たのみます。
3月6日の更新。そして11日に大地震。
一週間が経とうとしています。
シローさんは,ご入院されていることと思いますが
ご無事でいらっしゃることを祈ります。
> romancer さん
お気遣いいただき ありがとうございます
経験したことのない揺れに 心臓のとまる思いがしました
幸い 入院はせずに済んでいます
地震直後は身の回りのことで せいいっぱいでした
その一部は こちらでご報告しておきました
地震・津波の全貌が分かるにつれ 心がすくむ思いがしています
以来 テレビの画面にくぎ付けです
被災された方々には 心からのお見舞いを申し上げます
[…] Bilton の不満(あるいは Marco Arment の不満)についての問題点は、キーノートという公式自体はうまくいっていることだ。キーノートはアップルが焦点を絞りたいもの — プレゼンテーションやプレゼンターではなく製品自体 — にフォーカスしている。いずれアップルが何らかのメジャーな新製品を発表するときもくるだろう。そのときは発表のやり方もそれに合わせたものになるだろう。iPhone が発表されたときはそれまでのどの Macworld Expo キーノートとも異なっていた。iPad の発表もまた異なる構成(ひじ掛け椅子を使った)だった。新しいアップルイベントが見たいのなら、新しいアップル製品を待つ必要がある。 […]