最近、スティーブ・ジョブズに感謝することしきりだ。とくに晩年のジョブズに・・・
毎朝の日課のネットサーフィンは iMac でやるのが常だったが、手術後は早朝に起きて机に向かうこともなくなった。
iMac に代わるのが iPhone だ。病床でもジョブズがこだわった使い易さのおかげで、今ではベッドの中でサーフィンできるようになった。ジョブズ様々というワケ。
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アップルのキーノートといえば日本の深夜から早朝にかけての時間帯に行なわれる。朝起きだしてくるころまでには米国の最新の(前日付けの)情報が出揃う。
そんな明け方に目が覚めてしまう筆者の相手をしてくれるのが iPhone だ。
隣に寝ているウチの奥さんを起こさないようになるべくスクリーンは見ない。見ても字が小さくて読めない。
で、読み上げ機能を使っている。iPhone がトラックパッドに変化するのだ。
VoiceOver を使って、イヤホンを耳にしていれば、暗闇の中でも気兼ねなくネットサーフィンができる。
お気に入りのサイトをひと巡りするころには、その日の最新情報が分かってしまう。
ブックマークした記事の中でとくに興味をひいたものは、オリジナルまで遡って、これまた VoiceOver で読み上げさせる。
ベッドから起きだすころにはその日の流れがほぼ掴めてしまうワケだ。
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興味のあった記事は起床後にとりあえず一か所にまとめておく。それが「maclalala:link」だ。印象に残った記事を後から探そうとして大変な思いをしたことから始めた。
筆者の好きな Daring Fireball や The Loop もそんなサイトのひとつだ。アップルの目利き(キュレーター)がこれぞと思う記事を集めたものだ。
John Gruber が語ったあることばが記憶に残っている。
インタビューの名手 Charlie Rose の番組で、なぜ読者が彼のサイトに来ると思うかと尋ねられた Gruber が、読者は「what deserves attention」を求めているのだと思うと答える。
「attention」とはけだし名言だと思った。「注目に値するもの」、「読むに値するもの」という意味だろう。
読むための「attention」 — 注意力、意欲、エネルギー、時間 — は無限に読者にあるわけではない。
かつて自分も RSS サービスを利用したことがあるが、未読の記事が溜まり過ぎるとそれ自体がストレスになったのを覚えている。
大手紙・誌やネットワークサイトを見ることが次第に減り、自分が信用するライターの記事しか読まなくなった。幸いそんなライターには十指に余るほど恵まれている。
膨大なインターネット情報を選別してくれる、いわば目利き、キュレーター的存在だ。
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「maclalala:link」に集めた記事の中から、もっとよく知りたいものを日本語に訳してみる。
かつて仏教学の泰斗中村元博士が語られたことばが思い起こされる。「何語で書かれたものであれ、自分の母国語に直して初めて理解したといえる。たとえ稚拙な日本語であろうと、それが自分の理解したレベルなのだ」と。
仏教原典を漢語、サンスクリット語、チベット語など幅広く渉猟し、数多くの日本語訳仏典や『佛教語大辞典』という大偉業を成し遂げた博士にして初めていえることばだろう。
偉人の顰(ひそみ)に倣(なら)うなどという大それた気持ちはないが、どうしても気にかかるものは日本語への訳出を試みたくなる。
それが少しずつ溜まって「maclalala2」になった。筆者にとっては3代目のブログだ。
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かつて、当ブログにコメントやトラックバック、メールを寄せて励ましてくださった方々のリストを作ったことがある。当ブログのアクセスが10万に達したころだった。
読者は実にありがたいと思った。
リストはその後更新していないが、多くの読者の存在は常に感じ続けている。
もともとコンピュータについても翻訳についてもド素人のやること、たくさんの間違いが生じる。するとありがたいことに眼光鋭い読者から直ちに指摘が入る。そして読者の指摘はほとんどの場合正しい。
筆者と同じ関心を抱いてくださる読者の存在 — コメントをよせてくださる方であれ、無言の多くの方であれ — それは何にも代え難い存在だ。
一個人の無償の営為が続いているのも、読者の存在があればこそだ。
当ブログも始めてから5年、手術から2年が経った。読者リストを作ったころ10万だったアクセスもどうやら今日で700万をこえたようだ。
体力、気力の衰えてきたことを考えると、ある日突然更新が止まることも起こり得る。
そうなる前に、読者への御礼だけはひとこと申し上げておきたいと考えた次第。
すばらしい読者に恵まれたことを大変感謝しています。
これまで読んでくださってありがとうございました・・・
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追記「てげてげ」(3月25日)
ブログを始めて痛感すること — それはブログの数は山ほどあれど、優れた読者は非常に得難いということだ。
ひとつの節目を迎えて、元気なうちにそんな読者にお礼を述べたいという気持ちだった。
この冬の寒さは格別だった。文字どおり寒さを痛みとして感じたこともしばしば。
それがつい弱気のトーンになってしまった。
すぐにどうこうという状態ではない — たぶん? — ので、今しばらくお付き合い願えるとありがたいと思う。
ただ、息切れがしてきていることは事実なので、すこしテンポを落として — 郷里のことばでいう「てげてげ」でいければと思っている。
新旧多くの読者の励まし — ありがとうございました。