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かえる

ハンドパペット

片手をいれて遊ぶお人形

かえる2

親子で遊べるよう 親子の心を解きほぐせるよう 大小セットになっている

親戚が そのハンドパペットを 作り続けている

うさぎ

あちこちに寄贈したり 講習会を開いたり

そんなひとつが 郷里で子育てサロンを 開いている方に贈られた

ゆきぼんさんのサイトで その写真が紹介されている

そらまめくん

小さかった うちの孫たちも よろこんで使っていた

ほかにも そらまめくんが だいのお気に入りだった

時空をこえて 心をつなぐ縁(よすが)に なっているのがうれしい・・・

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social_networking_space

[多様化するネットの世界:image

もっとも長い間続いているブログといえば Jason Kottke の kottke.org だろう。

その彼が「ブログは死んだ」といっている。

Nieman Journalism Lab: “The blog is dead, long live the blog” by Jason Kottke: 19 December 2013

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「ブログは死んだ」

ここ数年でブログは死んでしまった。2014 年になればみんなそのことに気づくハズだ。もちろん今もブログは存在するし、優れたブログも多い。これからも存在し、優れたものであり続けるだろう。この十年来ブログが漠然とだが情報提供の場としての役割を果たしてきたことはみな知っている。しかしその役割は次々に登場する異質のメディア形式 — ブログに似てはいるが明らかにそうではない — そんな形式によって担われるようになってきた。

Sometime in the past few years, the blog died. In 2014, people will finally notice. Sure, blogs still exist, many of them are excellent, and they will go on existing and being excellent for many years to come. But the function of the blog, the nebulous informational task we all agreed the blog was fulfilling for the past decade, is increasingly being handled by a growing number of disparate media forms that are blog-like but also decidedly not blogs.

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ブログに代わるもの

ひとびとはますますブログに代わるものへ投稿するようになっている。Tumblr や Twitter、自分たちの掲示板、Reddit、Snapchat、Facebook ステータスの更新、Instagram、Medium などだ。1997 年にネットに接続したティーンエイジャーたちがオンライン日記を始めた。2004 年にはブログが王様だった。きょうびのティーンエイジャーは音楽 CD を買う感覚でいとも簡単に Instagram や Snapchat を使ってブログと同じことを始める。ブログはもはや40才過ぎた子持ち[注:Jason Kottke のこと]のやることなのだ。

Instead of blogging, people are posting to Tumblr, tweeting, pinning things to their board, posting to Reddit, Snapchatting, updating Facebook statuses, Instagramming, and publishing on Medium. In 1997, wired teens created online diaries, and in 2004 the blog was king. Today, teens are about as likely to start a blog (over Instagramming or Snapchatting) as they are to buy a music CD. Blogs are for 40-somethings with kids.

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さらにつづけて自分のブログ kottke.org でこうもいっている。

kottke.org: “R.I.P. The Blog, 1997-2013” by Jason Kottke: 19 December 2013

毎日読むブログは二つだけ

自分はこれまでブログロール(そんなことばを覚えているだろうか?)や RSS リーダーを通じて、毎日何百というブログ(一週間では千をこえる)をチェックしてきた。しかし今では毎日目を通すブログはたったの二つ — Daring FireballWaxy — だけになった。RSS リーダーをチェックするのもときたまで、ときには何週間もチェックしない。ニュースや情報のフォローはもっぱら Twitter、Facebook、Digg、Hacker News、Stellar などに頼っている。「ブログしている」(blogging)知人の多くがそうしているからだ。もちろんブログもたくさん読んではいるが、それも自分がフォローしている知人たちの集合レーダーに引っかかるほどオモシロい場合に限られている。そんなオモシロい記事はますます Medium や Facebook、Tumblr だけになっている。

Through various blogrolls (remember those?) and RSS readers, I used to keep up with hundreds of blogs every day and over a thousand every week. Now I read just two blogs daily: Daring Fireball and Waxy. I check my RSS reader only occasionally, and sometimes not for weeks. I rely mainly on Twitter, Facebook, Digg, Hacker News, and Stellar for keeping up with news and information…that’s where most of the people I know do their “blogging”. I still read lots of blog posts, but only when they’re interesting enough to pop up on the collective radar of those I follow…and increasingly those posts are on Medium, Facebook, or Tumblr.

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メモや意見などを記録(ログ)するウェブログとして始まったブログも、時とともに情報収集や発信の場という性格を強めてきた。

多様化するネットの形も本来ブログが持っていた機能が拡大・拡散しているのかもしれない。

「ブログの死」と捉えるかどうかは意見の分かれるところだが、長年ブログとともにあった Kottke の発言だけに訴えるところが大きい。

ネット情報の様々なあり方を総括した Ben Thompson の考察(こちらこちら)はその意味でも興味深い。

ただ、今どきのことばの断片だけでは物足りない気がするのは筆者が歳取ったせいか・・・

★ →[原文を見る:Original Text

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related_new

[各記事の末尾に「関連」項目]

投稿数が 1000 を超えると、前に掲載した記事を探すのが結構むずかしくなる。

とくに当ブログでは主として他人の書いた記事を紹介するだけなので、しばらくすると記憶が定かでなくなる。

そのために「ブログ内検索」や「カテゴリー」、「タグ」を活用して見つけやすくしている。

各記事の末尾にあるカテゴリー[原則日本語]やタグ[原則英語]をクリックすれば、同じカテゴリーないしは同じタグを付した記事が過去の投稿の中から串刺しで見つかるワケ。人名タグはなかなか重宝している。

ここまでは筆者サイドで準備したものだが、最近新顔が加わった。

新たに各記事の末尾に加わった「関連」という項目だ。当ブログが利用している WordPress 側のサービスだ。

これまでの投稿の中から「関連」のあるものを3つだけ選んだということらしい。

どういう基準でピックアップされるのかユーザーには分からないが、こんな記事もあったかと忘れていた投稿に出会うこともあって結構オモシロい。

なかなか興味深いサービスだと思う。

これ以外にもブログユーザーがよろこびそうなサービスはいろいろありそうだ・・・

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shiro.jpg

最近、スティーブ・ジョブズに感謝することしきりだ。とくに晩年のジョブズに・・・

毎朝の日課のネットサーフィンは iMac でやるのが常だったが、手術後は早朝に起きて机に向かうこともなくなった。

iMac に代わるのが iPhone だ。病床でもジョブズがこだわった使い易さのおかげで、今ではベッドの中でサーフィンできるようになった。ジョブズ様々というワケ。

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アップルのキーノートといえば日本の深夜から早朝にかけての時間帯に行なわれる。朝起きだしてくるころまでには米国の最新の(前日付けの)情報が出揃う。

そんな明け方に目が覚めてしまう筆者の相手をしてくれるのが iPhone だ。

隣に寝ているウチの奥さんを起こさないようになるべくスクリーンは見ない。見ても字が小さくて読めない。

で、読み上げ機能を使っている。iPhone がトラックパッドに変化するのだ。

VoiceOver を使って、イヤホンを耳にしていれば、暗闇の中でも気兼ねなくネットサーフィンができる。

お気に入りのサイトをひと巡りするころには、その日の最新情報が分かってしまう。

ブックマークした記事の中でとくに興味をひいたものは、オリジナルまで遡って、これまた VoiceOver で読み上げさせる。

ベッドから起きだすころにはその日の流れがほぼ掴めてしまうワケだ。

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興味のあった記事は起床後にとりあえず一か所にまとめておく。それが「maclalala:link」だ。印象に残った記事を後から探そうとして大変な思いをしたことから始めた。

筆者の好きな Daring FireballThe Loop もそんなサイトのひとつだ。アップルの目利き(キュレーター)がこれぞと思う記事を集めたものだ。

John Gruber が語ったあることばが記憶に残っている。

インタビューの名手 Charlie Rose の番組で、なぜ読者が彼のサイトに来ると思うかと尋ねられた Gruber が、読者は「what deserves attention」を求めているのだと思うと答える。

「attention」とはけだし名言だと思った。「注目に値するもの」、「読むに値するもの」という意味だろう。

読むための「attention」 — 注意力、意欲、エネルギー、時間 — は無限に読者にあるわけではない。

かつて自分も RSS サービスを利用したことがあるが、未読の記事が溜まり過ぎるとそれ自体がストレスになったのを覚えている。

大手紙・誌やネットワークサイトを見ることが次第に減り、自分が信用するライターの記事しか読まなくなった。幸いそんなライターには十指に余るほど恵まれている。

膨大なインターネット情報を選別してくれる、いわば目利き、キュレーター的存在だ。

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「maclalala:link」に集めた記事の中から、もっとよく知りたいものを日本語に訳してみる。

かつて仏教学の泰斗中村元博士が語られたことばが思い起こされる。「何語で書かれたものであれ、自分の母国語に直して初めて理解したといえる。たとえ稚拙な日本語であろうと、それが自分の理解したレベルなのだ」と。

仏教原典を漢語、サンスクリット語、チベット語など幅広く渉猟し、数多くの日本語訳仏典や『佛教語大辞典』という大偉業を成し遂げた博士にして初めていえることばだろう。

偉人の顰(ひそみ)に倣(なら)うなどという大それた気持ちはないが、どうしても気にかかるものは日本語への訳出を試みたくなる。

それが少しずつ溜まって「maclalala2」になった。筆者にとっては3代目のブログだ。

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かつて、当ブログにコメントやトラックバック、メールを寄せて励ましてくださった方々のリストを作ったことがある。当ブログのアクセスが10万に達したころだった。

読者は実にありがたいと思った。

リストはその後更新していないが、多くの読者の存在は常に感じ続けている。

もともとコンピュータについても翻訳についてもド素人のやること、たくさんの間違いが生じる。するとありがたいことに眼光鋭い読者から直ちに指摘が入る。そして読者の指摘はほとんどの場合正しい。

筆者と同じ関心を抱いてくださる読者の存在 — コメントをよせてくださる方であれ、無言の多くの方であれ — それは何にも代え難い存在だ。

一個人の無償の営為が続いているのも、読者の存在があればこそだ。

当ブログも始めてから5年、手術から2年が経った。読者リストを作ったころ10万だったアクセスもどうやら今日で700万をこえたようだ。

体力、気力の衰えてきたことを考えると、ある日突然更新が止まることも起こり得る。

そうなる前に、読者への御礼だけはひとこと申し上げておきたいと考えた次第。

すばらしい読者に恵まれたことを大変感謝しています。

これまで読んでくださってありがとうございました・・・

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追記「てげてげ」(3月25日)

ブログを始めて痛感すること — それはブログの数は山ほどあれど、優れた読者は非常に得難いということだ。

ひとつの節目を迎えて、元気なうちにそんな読者にお礼を述べたいという気持ちだった。

この冬の寒さは格別だった。文字どおり寒さを痛みとして感じたこともしばしば。

それがつい弱気のトーンになってしまった。

すぐにどうこうという状態ではない — たぶん? — ので、今しばらくお付き合い願えるとありがたいと思う。

ただ、息切れがしてきていることは事実なので、すこしテンポを落として — 郷里のことばでいう「てげてげ」でいければと思っている。

新旧多くの読者の励まし — ありがとうございました。

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sazanka

昨日の東京はことのほか暖かかった。

庭のさざんかの花がいっせいに開いた。

ウチの奥さんの一句。

山茶花の笑ひこけたる日和かな 

そこまで春がきているようでうれしい・・・

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春が待ち遠しい・・・

hyacinth2011

[ヒヤシンス — 入院中のスケッチから]

この冬はことのほか寒さが厳しい。

大動脈が破裂して倒れたのも、松の内が明けたとても寒い朝だった。

二年前の今ごろは ICU(集中治療室)で朦朧とした意識の中にいた。

救急車の中で意識を失い、数日後に意識が戻った・・・

というよりは、一度死んで手術で蘇生したという方が正確だと思う。

ぽっかり目が覚めたという感じだった。

すべてが白い中で身動きもできず、声も出せなかった。呼吸確保のため、喉の奥深くまで管が挿入されていたせいだ。

自分の身に何が起きたのか分からないまま、また意識が混濁した。

ここまで回復できたのだから、現代の高度救命医療はまさに神業だ。救急車が間に合ったこと、すばらしい医師の治療を受けられたこと、そして献身的な家族の愛情・・・いくら感謝してもし足りない。

血流が止まり、一時は左足切断かというところまでいったが、幸いそうせずに済んだ。

未だ痺れは消えないが、二本足で動けるありがたさは何にも代え難い。

記憶が大きく欠落したとはいえ、考える力が残っていたことは本当にありがたい。

さすがに集中力を要する日本語への訳出作業はめっきり衰えを感じる。

寒いと身体全体がかじかんで、ひたすら生き延びることだけに気持ちがいってしまう。

温かい春が待ち遠しい・・・

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かじかむ・・・

cold_wave

[寒波:photo

寒波の到来は辛い。

身も心もかじかむ・・・

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